「ねえ、ジャンケンしない?」
山に登り始めて、「山に神々が棲んでいる」と感じていたが、最近はまたちがう理解をしている。
山ばかりではなく、地球、いや宇宙のすべてが神なのだ、と。東洋らしく「天」と言い換えた方がしっくりくるのかもしれない。とにかく、地球は生命体そのもので、そこに生えた毛のようなものが植物であり、われわれ人間も含め、動物たちはその植物たちに(つまり、地球という生命体に)生かされている、という感覚が増すばかりなのだ。
どうしてそう思えるようになったのか、確かなことはわからない。ただ、気がついたらそういう確信を抱いていたのだ。
毎年恒例の登山をしてきた。
今回は南アルプスの仙丈ヶ岳。北アルプスの山々と比較すると穏やかな容貌をしており、「南アルプスの女王」とも呼ばれているらしい。
標高3033メートル。けっして低くはないが、困難な山ではない。
初日、北沢峠に着いた日、近くの山で滑落し、一人が亡くなったという知らせが入った。夕方になると、雨が降り始める。山の奥深くで雨や濃いガスに見舞われたら、危険だ。明日は晴れますように、と願いながら、7時半頃、床に就いた。
翌朝は願いが叶い、スッキリ晴れた。5時15分、気合いもろとも出発する。
日頃、ウォーキングをしているせいか、足取りが軽い。標準コースタイムより幾分早く、頂上に着いた。
頂上から見る南アルプス一帯の景色は、まさに100万ドルの絶景だった。ところどころに雲海があり、その向こうに山々の嶺が聳える。真っ青な空に浮かぶ雲は、地上から見るそれとはちょっと異なり、ちぎれ方に法則性がない。地上に近い雲は密度が濃いので「雲らしい」が、その上に漂う雲は青空が透けており、白から青へ至るグラデーションがことのほか美しい。まさしく生命の徴だと感じた。
この地球という生命体に生かされていることに感謝し、一人黙々と下山した。
ところで、今回も同行したのは、今までに何度も私を散々な目に遭わせてくれた高久和男氏。
今回は最初から別行動だったのでひどい目に遭わなかったが、ひとつだけ悔しい思いをしたので、後々の教訓とするため、ここに記すことにする。
和男さんは知る人ぞ知る甘党である。初日、コンビニに立ち寄って、山で食べる甘いモノをたくさん買い込んでいた。しかし、あろうことか、それらを車の中に置き忘れてしまったのだ。
それが発覚してからというもの、まるで全財産を失ったかのごとく悔やんでいたが、一瞬、目の色が変わったのがはっきりわかった。切れかけていた電球がいきなり光を取り戻したかのように。
「そう言えば、キミもなんか買ったよね」
いつもより早口にそう言ったのだった。
「え、え、塩豆大福をひとつ」
悪い予感がした。
「ねえ、ジャンケンしない?」
穏やかな口調でそういう言葉が発せられた。
つまり、ジャンケンをして勝った方がその大福を食べることにしよう、というのだ。
ええ、いいですよ、と答えたものの、もし私が勝ったら一生怨まれそうな勢いだったので、「じゃあ、あげますよ」と答えた。
それを聞いた年長者の和男さんは、「じゃあ、キミに悪いから半分にしようか」と言ってくれると思いきや、「よーし、これで楽しみができたぞ」と満面に笑みを浮かべている。
結局、1500人の従業員を抱える社長の言動とは思えない、プライドのかけらもない巧妙な駆け引きにより、塩豆大福一個をまきあげられてしまったのだ。
「ねえ、ジャンケンしない?」
これは案外使えそうだ。
(100809 第184 写真は仙丈ヶ岳登頂直後の筆者、背後に雲海が見える)