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紺碧の将

「読解力急低下」は無教養国家の前ぶれ

2019.12.06

 データが出そろってようやく気づくというのは、体の不調のことと同じだ。

 経済協力開発機構(OECD)が2018年度に実施したPISA(国際学習到達度調査―日本は無作為抽出した全国183校の高校1年生約6100人が参加)で、日本は前回(3年前)の8位から15位に急落したと報じられた。定期検診や人間ドックに行かないと自分の体の不調がわからないのと同じように、こんなデータを見なければわからないのか、と言いたい。

 読解力低下はいまに始まったことではない。しかも、若い世代に限った話でもない。言葉の切れ端でやりとりする人の数は、あらゆる世代で急増している。もちろん、SNSなど情報手段の〝進歩〟による。歩かなければ脚が衰えるのと同じ。日常的に長い文章を読んでいなければ、読解力が低下するのは当たり前だ。

 予兆はあった。テレビに出てくる人たち(有名人も市井の人も)の言っていることがわからないことが増えてきたのだ。頭に浮かんだ断片をダラダラとてきとうに喋り、「ので」でつないで最後に「ので〜」で終わるという話し方が急増している。スポーツ選手のインタビューなど、内容が空虚で聞いていられない。語彙がないから、自分の考えや意見を組み立てられない。比べて、外国のスポーツ選手は自分の意見を自分の言葉で話す人が多い。彼我の違いはなんなのか。

 思えば、日本は「言霊(ことだま)の幸(さき)わう国」だった。『万葉集』が編まれたのはおよそ7〜8世紀。「読み人知らず」の歌がたくさん収められている。平安時代には、かの『源氏物語』が書かれている。しかも書いたのは女性だ。すでに世界有数の教養国家だったことがわかる。その頃、ヨーロッパでは野蛮な殺戮に明け暮れ、文字を読める人はどくごく一部の人に限られていた。

 小欄でも書いたが、私は10月から『新古今和歌集』を紐解いている。毎日見開き2ページ、6〜7首の歌を詠み、意味を調べ、気に入った歌を1〜2首、ワードに書き加えている。

 驚きの連続だ。なんてわれわれの祖先は繊細な感性をもっていたのだろう、と。季節の移り変わりや人の心の機微だけでこんなにも感動し、愛惜を覚えるのか、と。多くの人はいまよりもずっと貧しかったはずだが、心は比べものにならないくらい豊かだったことがわかる。おそらく自殺する人やうつ病の人はほとんどいなかったにちがいない。

 文学作品は、先人たちの文化遺産である。こうまで読解力が落ちてしまった以上、それらを味わい、世につないでいくのは難しいと言わざるをえない。待ち受けているのは、無教養国家としての心の荒廃だ。もうすでにその兆候が現れている。

 2022年度以降に行われる高校国語の再編にあたり、新学習指導要領で「論理」重視に舵を切ったと報じられた。「文学」は選択制になる可能性が高い。つまり、情操を育むべき時期に、名作の片鱗にも触れない学生がたくさん出現するということだ。その先にある国の光景を思い浮かべただけで戦慄が走る。

 仕事柄もあるが、私は起きている時間の大半を「読み書き」で過ごしている(あるいは「見る聴く」)。そのおかげで、毎日が充実している。読解力が低い人は、それだけで大損していると思う。先人が遺してくれた「贈り物」を味わうには100年でも短い。

 

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