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紺碧の将

なにゆえ仕事はこれほど楽しいのか

2010.09.05

 『なにゆえ仕事はこれほど楽しいのか』というエッセイ集を上梓した。

 大げさなタイトルだなあと思う方も多いと思うが、けっして奇をてらったわけではない。ありのままの気持ちをタイトルにしただけである。

 思い返せば、20代前半の頃は仕事が嫌で仕方がなかった。仕事そのものはもとより、上司も同僚も好きではなかった。社会に対しても憤りばかりだった。なにより、自分自身が無能で腹が立った。そして、「どうせ自分は何もできない男なのだから」と開き直った。

 結果、いつも逃げてばかりいた。逃げるというのは、仕事のことを意図的に忘れるということで、ロックバンドを組んでいたり、仲間たちとダンスパーティーに興じたり、本や音楽や映画鑑賞に没頭したり、同人誌制作に夢中になったり、と浮世離れしたことばかりしていた。

 ところが、それらがけっして無駄になっていなかったと悟るのは随分後になってからのことだ。なぜなら、それらの知識や経験は、今まさに役に立っているからである。不思議なもので、当時、現実逃避のためにしていたことが、今とても役に立っているのだ。

 じつに不思議である。

 

 さて、今回上梓したエッセイ集は、仕事嫌いの人間だった私が、いかにして仕事が面白くなったかを綴ったもの。と言っても、具体的にそのノウハウが書いてあるわけではない。今までの来し方、考え方の中からそれらを演繹してみようと思っただけのことである。

 

 今、日本にどれくらいの労働者がいるのかわからないが、自分の仕事が好きな人はどれくらいいるだろう。これは私の勝手な推測だが、おそらく全体の数パーセント、消費税率よりも少ないのではないだろうか。その証拠に、多くの人が心を病んでいる。仕事が面白いということは人間関係も円滑にいっているということだから、毎日の生活が楽しいはず。今のようにべらぼうな自殺者がいるということは、多くの国民が自分の仕事を好きではないという証左ではないだろうか。

 そういう人たちにとって有効かどうかわからないが、私のような人間が仕事が好きになり、社会の中での自分の役割を自覚できるまでになったということは、まだ日本も健全な証拠ではないだろうか。

 巻末に私が崇敬する田口佳史先生から過分なお言葉をいただいた。どうやら私は江戸の人間の系譜をひいているらしいが、要するに好き勝手をやってきたまでのこと。そして、今でも好き勝手をしている。朝起きて、その日何をするかは自由だ。もちろん、アポイントがある場合は別として。

 100歳までは現役を続け、「多樂」をまっとうするというのが目下のライフプランである。

(100905 第188回 写真は『なにゆえ仕事はこれほど楽しいのか』の表紙)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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