終わりと始まりの結節点
予期していたことだが、2019年は終わりと始まりの結節点となった。
50歳の誕生日直後、産声をあげた『Japanist』は今年1月、ちょうど10年間の発行をもって終刊とした。年に4回、通算40巻。すべて1日の遅れもなく発行することができた。
創刊から18号まで専属のスタッフを一人雇っていたが、19号以降は自分だけで編集をした。全体の構成から取材、執筆、外部の寄稿者とのやりとり、制作、校正、発送、顧客管理、決算ほか毎月の収支管理まで何役もこなした。50代の10年間のかなりの時間を『Japanist』の編集に費やしたが、私はそれによってなにを得、なにを失ったのか。そもそも雑誌編集をとおしてなにをしようとしたのか、ここに詳細は記さないが、あらためて検証した。
後悔はみじんもない。この10年間は濃密で、時間の経つのが遅かった。人は「歳をとると時間の過ぎるのが早くて」と言うが、私の50代は遅々としていた。それだけ真剣勝負と初体験が凝縮されていたということだろう。『Japanist』終刊の2ヶ月後、還暦という節目を迎え、その翌月、元号が平成から令和に変わったが、いま思えば自然な流れといえる。
もうひとつの大きな節目は、『Japanist』最終号の直前に、私の本質的思考法をまとめた『葉っぱは見えるが、根っこは見えない』を刊行したこと。仕上がった本を手にとったとき、「突然死んでも自分の痕跡を残すことができる」という思いが去来した。それほどに自分のエッセンスを詰め込んだ一冊である。
今年は拙著の出版ラッシュで、ほかに『結果をだす男 中田宏の思考と行動』と『父発、娘行き』を世に出し、ガラス作家・植木寛子さんをテーマにした『FINDING VENUS』の取材・原稿・制作をほぼ完成させ、1月末の仕上がりを待つのみとなった。
光もあれば影もある。
3月下旬、私たちは大切な家族の一員を失った。1999年7月20日、わが家にやってきたキジトラの雌ネコ・海(通称うーにゃん)が死んだのだ。20歳まであと数日だった。いままで、多くのペットを飼ったが、私に懐いてくれたのはうーにゃんだけだったから、哀しみはひとしおだった。心のなかに、ぽっかりと大きな穴が開いた。いまもって、うーにゃんの不在に馴染んでいない。だれかと死に別れるとはこういうことなのだ。今後、そういう体験がいくつもあるはず。そのための予行演習をうーにゃんはしてくれた。
この歳になってあらためてわかったことがある。私にとって最も興味があることは学ぶことなのだと。かねがね「遊びと学びと仕事は同じ」と言っているが、その思いは深まるばかりだ。
では、どういう学びか?
○○検定に挑むというようなことにはまったく興味がない。あらかじめ答えがあるものを暗記して、いったいどうするのだろう。
私が好きな学びは、ひとことで言えば「答えのないことを学ぶ」ということ。いまさらながら、学校の勉強に身が入らなかった理由がわかる。「答えのある学び」がまったく無意味とは思わないが、インターネットで検索すればすぐに答えを得られる現代において、「考える」力を養うほうがはるかに価値があり、かつ面白い。
そんな思いが深まり、今年の8月、より自分らしく、体系的に学ぼうと着想した。それが「じぶん創造大学」である。
半月ほどかけて設立趣意書をまとめ、目的と科目を具体的に設定した。芸術、思想、社会学など21科目のワードファイルに、学んだことをその都度書き加える。さらに毎月レポートを自分宛てに提出する。そして5年後、自分はどう変わっているか? 今までとちがう自分に会える。これこそが学びの醍醐味である。
世の中を見渡すと、長生きできるようになったことを肯定的にとらえられない人がたくさんいることに気づく。特に問題視されているのが経済(老後資金)と健康だ。男女とも約10年、だれかの介護がなければ生きていけないという現状を鑑みれば、当然ともいえる。
しかし、私はそれらとは別の問題があることに気づいている。それは膨大な「可処分時間」をいかに有意義なものにするかということ。長生きできたとして、やりたいこともなく社会とも隔絶した毎日では地獄に等しい。特に、60歳過ぎまで組織で働いていた男性は、その後の人生がたいへんそうだ。ある調査によれば、3週間だれとも会話を交わしていない75歳以上の男性が全体の30%以上もいるという。これでは生ける屍に等しい。
学びはそういう人にも有効だ。ただ、どうやって学んだらいいかわからない人が大半だろうから、そういう人たちの道標になれるようなメソッドを体系的に確立したいと思っている。
今年は筑波山、焼岳、磐梯山のほか、投入堂にも登ることができた。自社サイト「Chinoma」のコンテンツも拡充し、来年に向けて大きな一歩を踏み出せそうだ。「老子」の暗唱・暗記のあと、『新古今和歌集』にも取り組んでいて、和歌や書についての関心も急上昇中。日本再見の旅も少しずつ続けていきたい。
2020年、一人娘が結婚することになり、親として一区切りついたという感もある。どういう1年になるかわからないが、毎年そうであるように、充実感をもって年の暮れを迎えられるようにしたい。
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