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紺碧の将

ブランドの価値

2020.01.19

 車を持たない生活になってから1ヶ月半過ぎたが、まったく不便を感じない。車がないことと関係があるのかどうかわからないが、ますます歩くことが愉しくなっている。

 以前も書いたが、雨が降っていなければ市ヶ谷の事務所まで1時間弱かけて歩いていく。幸い、道中は景観のいいところばかり。人と自然の均衡がほどよくとれ、目の保養にもなる。

 街歩きも愉しい。歩きスマホがたくさんいることにはうんざりするばかりだが、美術館にあってもおかしくはないと思えるような〝作品〟に出くわすことがある。自然の美をサイエンスというのであれば、こちらはアートといえよう。

 歴史のある建築物や遺構、美術館や博物館などはもちろんのこと、意外に面白いのがブランドショップやデパートのショーウインドウだ。

 

 しばしば「あいつはブランド狂いだ」などと悪もののように言われることがあるが、そこにはひがみが混じっていることも事実だろう。人の手になる、洗練されたアートがわからないという感性のちがいもある。そもそも、生半可な仕事を続けていたのでは、とうていブランドとして衆人に認められるようになるはずがない。多くのブランドは数百年の歴史をもつが、そういうものに対して批判するだけでは共産党と変わりがない。歴史や伝統に対して敬意をはらえないのはかっこ悪い。

 批判するなら、ブランドと不釣り合いであることも知らず、ただ見栄で身につけている人だろう。そのブランドが長い年月をかけて築き上げた価値と釣り合わない人がそれを持っていることの滑稽さは笑っていい。

 私は着るものや道具などに多少のこだわりをもっている。自分に合ったもの、長く愛用できるもの、美しいもの、洗練されたもの、世間の支持を圧倒的に受けていないものなど、だいたいの基準はある。そういう基準で選んだのは、30代前半であればニューヨークのアレキサンダー・ジュリアン、30代なかばからイタリアのアレグリになり、その後、特にこだわるブランドはなくなった。創業期に買ったもののいくつかは今でも現役で使っている。きちんと作られているということもあるが、私は基本的にもの持ちがいいのだ。25年から35年着続けている服がたくさんある。

 車は30代中頃からイタリア車に乗り続け、特にアルファロメオに対する愛着は並々ならぬものがあった。だからか、故障に悩まされることもほとんどなかった。

 と、今回はそういう話ではなかった。街歩きしながらブランドショップやデパートのショーウインドウを見るのも愉しいという話だった。

 ショーウインドウはある意味、そのブランドが威信をかけて作り上げたものだ。店舗が肉体だとしたら、ショーウインドウは顔である。顔は情報の集積地だ。その人の性格や感情、健康状態など、じつに多くの情報が顔に表出される。

 長年、広告業界に身を置いてきた人間だから思う。ブランドは一朝一夕にできるものではない。好きかどうかとは別に、リスペクトされるべきものだ。

 

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