大空を見よう
最近、空を見ることが多い。
どうしても普段の生活に追われてしまうと視界が狭くなりがちだが、最近は自然を感じられる場所を歩くことが多いので、いきおい視界も広くなっている。高い木の梢を見れば、おのずと空に目が転ずることになり、視界はいやがおうにも広がることになる。
すると、心に重心ができる。背骨が通るといってもいい。要するに、浮ついた感覚が薄くなっていくのだ。
それもそのはず。人間の身長など、たかだか2メートル足らず。俯いていたら、せいぜい数十センチの世界しか目に入らない。しかし、上を見れば数千メートルは視界に入る。
さて、読者の皆さん、いつもの自分の視界がどの程度の距離か、あらためてじっくり確かめてみてはいかがだろうか。ついつい身の回りの物だけに焦点が合ってはいないだろうか。視界が狭いと心の余裕もなくなりますよ。
ところで、私は自慢じゃないが、いつも視界良好である。子どもの頃からずっと視力が良く、視界の中でぼけているところがない。時々「女性の敵」と言われる所以はそこにある。つまり、“いいところはそれなりに、悪いところもそれなりに”見えてしまうのだ。
“やだぁ〜”という声が聞こえてきそうである。でも、仕方ないではないか。見えるものは見えてしまうのだから。
おまけに、ずっと視力が良かったにもかかわらず未だ老眼にもなっていない。以前よりは細かい字が読みにくくなっている感があるが、文庫本の細かい文字も裸眼で全然平気である。
また、視力に限らず、五感の感度が著しくいいのである。聴覚も嗅覚も。
さらに、体も丈夫だ。風邪はたいがい水際で防いでいるので、滅多にかからない。こういう風に生んでくれて、ひたすら両親に感謝である。
ちなみに風邪はひき始めが肝心だ。私の場合、葛根湯を2つくらい飲み、しっかり厚着をしていつもより早めに寝る。いつも長い睡眠をとるが、風邪のひき始めはいつもより多く眠る。それでだいたい治ってしまう。創業以来24年弱、一度も病欠がないというのは我ながら驚異的である。だからなのか、やたらと病気で休んでいるいる人を見ると、「あっ、現実逃避しているな」と思えてしまう。もともと虚弱体質の方はべつとして、病気は気持ちがいちばん大切。「病は気から」というのは本当である。
(101202 第212回)