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紺碧の将

生きづらい時代?

2020.06.12

 いったい、いつ頃からだろうか、「生きづらい時代」という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)されるようになったのは。「時代」とあるのは、「以前に比べて」というニュアンスが言外にあるようだ。

 ある会社が2019年にまとめた意識調査によると、生きづらいと感じている人の割合は20代がもっとも高かったという。20代の若者はいつの時代と比較しているのだろう。おそらく、さほど気にもせず安易に使っているのだと思う。なかば口癖のように。

 だとしたら、あまりいいことだとは思えない。「生きづらい時代」と口に出した瞬間、ほんとうはいいところもあるはずなのに、脳は「生きづらい」と断定してしまうからだ。つまり、自分の心をネガティブな方へと導く言葉なのである。

 現代ほど(特に日本は)至れりつくせりの時代はあるまい。ここまで手厚い社会福祉を実現した例は、人類史においてほかにないと思う。福祉国家として北欧諸国が挙げられることが多いが、トータルで見れば日本の方がずっと手厚い。これは北欧の福祉に詳しい専門家から聞いた話でもあるし、実感としてもうなづける。

 たしかに、細かいところに目を向ければ、不満のタネはあるだろう。国民のすべてが不満ゼロという社会など、絶対にありえない。「生きづらい時代」と言っている人は、「不満のタネ」ばかりに意識を向けているのだ。

 こんなふうに考えてみよう。もし、人間以外の生き物に生まれてきたとしたら……。

 ほかの動物であれば、最小限必要な食べ物を確保するだけで1日が費やされ、食べられなくなれば死を意味する。しかも、日々天敵に命を脅かされる。

 と書けば、「ほかの動物と比べてどうするんだよ!」と憤慨する人もいるだろう。

 では、同じ人間に生まれたとして、アフリカなど開発途上国だったら? 中国や北朝鮮のように全体主義国家だったら? 

 あるいは、日本に生まれたとしても、職業や身分が固定されていた江戸時代だったら? 太平洋戦争のまっただなかだったら?

 そう考えると、現代の日本に生まれたということが、いかに幸運なことか、思い至るはずだ。そして、「この生きづらい時代」などと口にすることがいかに見当違いでわがままなことか、気がつくだろう。

 私はこう思う。自分が努力したわけでもないのに、現代の日本の生まれただけで100点満点だ、と。これ以上、なにを望むか。もし、不満のタネがあるとすれば、その原因の大半は自分にあるはず。そして、自分をつぶさに客観視し、改めるべきは改める。

 病気と同じである。そう思ったことをきっかけに、どう自分を客観視し、修正するか。そこに人生の分水嶺があると思っている。ただ「生きづらい世の中に生まれてしまった」「政府が悪い」「会社が悪い」「親が悪い」「運が悪い」などと不満を吐き出すのは、自分の足元に蟻地獄を掘る行為に等しい。

 ちょっと説教臭かったかな? ごめんごめん、ついつい。

 

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(200612 第999回 魚にとってはいつの時代も生きづらい?)

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