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紺碧の将

失ってわかること

2020.06.21

 事務所としている「Chinoma」の下に素敵なカフェがあることは、何度か書いたことがある。

 Chinomaに行くたび、ケイティーを訪れた。いつもの笑顔で出迎えてくれ、多樂サロンでも使わせていただいた。

 本サイト「人の数だけ物語がある」でも紹介しているが、中村さん夫妻が営むカフェ「ケイティー」は、コーヒーのチェーン店が隆盛の現今において、じつに味わい深いカフェだった。

「だった」と書いたのは、先日、営業を終了したことによる。今回のコロナ禍によって売上が激減し、完全な収束が見通せないなか、苦渋の決断をされたのだ。

 外堀通り沿いに面しているということもあって、かなり高額の家賃だった。家賃の減額交渉をするも、まったく応じてもらえないということも聞いていた。弁当のテイクアウトを始めたが、肝心のコーヒーは売れない。どんどん追い詰められていく様子が伝わってきた。できるだけ応援しようと思ったが、金額はたかが知れている。

 このご時世では珍しく、愚直経営そのものだった。こだわりのストレートコーヒーが、大きくて厚手のコーヒーカップにたっぷり入って420円。深煎が好きな私にズシンとくる、パワーのあるコーヒーだった。奥さんの料理もひとつひとつていねいに作られているのに驚くほど安かった。アルコールを扱わず、コーヒー主体のメニュー構成でやっていけるのかと思い、もう少し値上げしたほうがいいのでは? と助言を何度もした。

 彼らなりに信念があったにちがいない。値上げをするかわり、懸命に働いた。閉店してからも毎晩11時くらいまで仕事をし、翌朝早くから店を開け、休みの日も仕込みに精を出す姿を垣間見ていたから、今回の〝仕打ち〟は残念でしかたがない。

「人の数だけ物語がある」の記事を読んでいただければわかるが、2011年、オープンした3日後、東日本大震災に見舞われるという最悪のタイミングで船出した。それを乗り切り、徐々に固定ファンをつかんでいった。それなのに……。9年間の努力はなんだったのかと思ったはずだ。

 閉店にあたり、多くの人が駆けつけたが、惜しまれるに値する仕事ぶりだった。彼らは最後まで笑顔だった。

 思えば、東京には個人経営のカフェが少なすぎる。パリを歩けば、そこかしこに個性的なカフェがある。地元の人や観光客に愛され、いつしかサロンとしての機能も果たしている。しかし、東京でカフェといえば、チェーン店のそれだ。マニュアル化したチェーン店に、新たな人の交流はない。

 下町には昔ながらの喫茶店がある。銀座にも老舗のカフェはある。しかし、私にとって下町の旧態然とした喫茶店はピンとこない。喫煙オーケーが大半だし、コーヒーも〝ブレンド〟と称し、なにが混じっているのかよくわからないことが多い。銀座の老舗カフェも値段が高い割に満足度は低い。そもそも日常的に使える気安さはない。その点、ケイティーは申し分なかった。

 いま、想像以上の喪失感を味わっている。当たり前のようにあったものが、ある日、なくなってしまう。人もモノもそうだが、そうなって初めて、その価値に思い至る。

 もう、あのようなカフェには出会えないかもしれない。そう思えば思うほど、喪失感が大きく感じられる。

 ああ、またケイティーのコーヒーが飲みたいなぁ、とこれから何度も思うんだろうな。

 

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(200621 第1001回)

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