毎日が元旦、毎日が余命一週間
2011年が明けた。
といって、格別なにかが変わったわけではない。昨年の大晦日も除夜の鐘を聞くことなく寝てしまったし(11時20分就寝)、初詣に行くこともなかった。
もちろん、そういう習慣がいいことだとは思わない。が、大事なことは日常的にやっているので、あえてその日に何をしなければいけないという気になれないだけなのだ。
例えば、初詣など行かなくても、神社があれば参詣することにしている。まして、最近は明治神宮に行くことが「日常」の中に組み込まれている。人がワンサカいる時期に、あえていっしょに行く必要を見いだせないだけである。
「毎日が元旦、毎日が余命一週間」という気持ちでいたいと思っている。
ただ、残念ながら、なかなかそのような心境になるのは容易ではない。なかなかできないからこそ、日々、そのことを強く思う機会を多くしたいのである。
この正月は次号『Japanist』に掲載するための吉田松陰の原稿を書き、世阿弥の『風姿花伝』について、少しだけかじった。それだけで心が洗われるようである。
相変わらず、正月も毎日1万歩ウォーキングしている。空や木々を見ながら、風を感じながら、音楽を聴きながら。
そういえば、一度も私に何かを所望したことのない母親が、珍しくi Pod を買って音楽を詰めてほしいと言ってきた。もちろん、かかった費用は出すからと。
母はクラシックが好きで、ウォーキングもしている。私が i Pod を聴いているのを見て、いつかは欲しいと思っていたみたいだ。指揮者によって、どれくらい音が変わるか、そんなことを母と話している時は本当に楽しい。
さっそく最新の i Pod を購入し、クラシックやジャズ、ロック、ポップス、R&B、ワールドミュージック、Jポップ、演歌、落語などありとあらゆるジャンルの音楽を詰め込んだ。その数、約1600曲。私のパソコンに入っているライブラリーと同期させるため、そういうことになってしまうのだ。レイ・チャールズやスタイル・カウンシルやユッスー・ンドゥールやマイルス・デイヴィスを聴いて母はどう思うのだろうか。そう考えただけでワクワクする。案外、リズムに合わせてウォーキングしていたりして(笑)。
(110104 第220回 写真は池に映る空)