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紺碧の将

榎本武揚と五稜郭

2020.09.06

 初めて函館の五稜郭を訪れた。

 五稜郭と聞けば、榎本武揚を連想する。昌平坂学問所や長崎海軍伝習所で学んだ後、オランダへ留学し、江戸幕府の幕臣として明治新政府に抵抗したが、薩摩藩・黒田清隆の助言によって2年半の投獄で助命された。その後、新政府に仕え、北海道の資源調査や樺太千島交換条約締結などに尽力した。

 内閣制度が発足した後は、逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣などを歴任し、東京農業大学の前身である徳川育英会育英黌農業科など多くの団体を創設した。この当時、侍が外交官や政治家などになった例は少なくないが、榎本のように科学者にもなったという例は珍しい。まさに〝開明の人〟だった。

 

 五稜郭は、江戸時代末期、幕府によって北海道函館市郊外(当時は箱館と書いた)に造られた稜堡式の城郭である。

 なんといっても、★型の構造がユニークだ。西欧では多く見られるが、日本の一般的な城郭とはまったく異なる。

 正直、防御に適しているとは思えない。戊辰戦争最終の戦地となったというのは、象徴的でもあった。江戸時代の終焉にもっともふさわしい地でもあった。

 

まず、外壕沿いを歩く。高い石垣がないため、城独特の威圧感はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石垣といっても、せいぜいこれくらいの高さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時使われた大砲もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上から五稜郭を俯瞰する。難攻不落というイメージには程遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永嶌孟斎画「箱館大戦争之図」

 

 

 

 

 

 

 

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(200906  第1020回)

 

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