多樂スパイス
HOME > Chinoma > ブログ【多樂スパイス】 > 男体山に魅せられた男

ADVERTISING

私たちについて
紺碧の将

男体山に魅せられた男

2020.09.14

 自分でも不思議だが、今まで男体山に登ったことがなかった。いつでも登れるという意識があったのと、独立峰で見るからに変化に乏しいと思えたからだ。しかし、今回、ちょうどいい機会だと思い、登ってきた(なにが〝ちょうどいい〟のか、判然とはしないが)。

 山容から想像できるように、ほぼ一定の勾配で頂上まで続く。3合目から4合目は工事用の舗装道路を歩くが、それ以外は黙々と同じ勾配が続く。途中にはガレ場もある。前日、土砂降りだったため、足場も不安定だ。

 天気予報では、午前11時くらいから雨が降るとのことだったが、下山するまで天候に恵まれた。

 これまでも、そういうことはたびたびあった。台風直撃のはずが、コースがずれて晴天に恵まれたこともある。私は天に好かれていると思いこんでいる。この〝思い込み〟は案外、効力がある。

 終わってみれば、そこそこつらい山だった。北アルプスの山々のような急峻な登りはないが、ダラダラと中の上くらいの登りが続く。日光には日光白根山という好きな山があり、私は3度登ったことがあるが、こちらは途中に池あり沼ありで、コースに変化がある。正直、もう一度男体山に登ろうとは思わない。やはり、男体山は富士山同様、見る山だ。

 

 ところで、登山口の鳥居の近くに「奥宮千回登拝」と刻まれた石碑がある。裏を見ると平成17年5月15日、田名網忠吉さんという方が、80歳で1000回目の登拝をしたと書かれている。

「80歳で1000回? す、すごすぎる!」

 自宅に戻ってネットで調べ、驚いた。彼の著書の説明文にこう書かれていた。

 ――32歳でヘルニアを患い、健康維持を兼ねて登山を開始した。日本アルプスなど数々の山を登り、初めて二荒山神社(世界文化遺産)のある男体山」に登ったのが46歳のときだった。57歳で退職し、病院の事務員として働きながら多くの仏教書を読破。独学で座禅と気功を学ぶ。その後は次第に男体山に登頂するごとに気力と体力の充実を感じるようになって、62歳で100回登拝。1日2往復することもあった。その後も、毎日の散歩、懸垂、腕立て、スクワット、瞑想、座禅は欠かさないという「超人」的な心身の持ち主である。

 

 そして男体山に登り始めて34年、田名網さんはついに登拝1000回を達成した。彼の住まいは栃木県南部。そこから日光まで通い詰めたのだ。冬期は登れない日が多かったはずだから、冬以外の自由時間をほとんど男体山登山に費やしたのだろう。2005年で80歳だから、いまもご健在なら95歳。話を聞いてみたいものだ。

 

二荒山神社の境内越しに見る男体山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登山口の鳥居

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中腹から中禅寺湖を眺める。雨の天気予報がみごとはずれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8合目にある瀧尾神社。まさに御神体である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頂上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森のなかには巨樹が横たわっていた。これも新陳代謝であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2009014  第1022回)

 

本サイトの髙久の連載記事

◆海の向こうのイケてる言葉

◆うーにゃん先生の心のマッサージ

◆死ぬまでに読むべき300冊の本

◆偉大な日本人列伝

 

髙久の著作

●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

 

お薦めの記事

●「美しい日本のことば」

今回は、「夜振火」を紹介。夏の夜、川面に灯りをともすと光に吸いよせられるように魚が集まってきます。この灯火が「夜振火(よぶりび)」〜。続きは……。

https://www.umashi-bito.or.jp/column/

【記事一覧に戻る】

ADVERTISING

メンターとしての中国古典(電子書籍)

Recommend Contents

このページのトップへ