自分たちが住む街の価値を高めるには
前回、ロマンスカーで小田原へ行ったことを書いた。
しばらく会っていなかった友人夫妻に会うためである。中間あたりをとって小田原で会おうと相成り、数人で押しかけた。
小田原は歩いて楽しい街だ。なにより、中心部に聳える小田原城は雄壮で気品があり、ありし日の威容をいまもって湛えている。これまで3度ほど小田原城を訪れたことがあるが、失望したことは一度もなかった。
全国統一を目前にした豊臣秀吉に対し、最後まで抵抗したのが北条氏であった。難攻不落の城と言われた小田原城に籠もり、徹底抗戦を崩さなかった。
小田原攻めは総勢15万とも22万とも言われる。オールスターともいえる戦国武将たちが背後から、海からと小田原城を囲んだ(右図)。結果的に、北条氏は城を明け渡すことになるが、最後まで抵抗したという事実は永遠に残る。その誇りは、後世に生きる人にも引き継がれているようである。
16年ほど前、ある高層マンションの計画をめぐって、小田原市民と開発業者の間で裁判沙汰になっていることを知った。小田原駅と小田原城との間に建設する計画だった。
裁判の結果なのか話し合いによる結果なのか、マンション建設計画が頓挫したことを聞かされた。小田原駅から見て、小田原城の天守閣を遮るようなマンションはけしからんという市民の声が聞き入れられたのだ。開発業者側には地元の開発推進派もたくさんいただろう。そういう人たちの大きな声を黙らせるには、市民一人ひとりの意識に負うところが大きい。「自分には関係のないことだから、どうでもいい」と考える市民が多ければ、計画通りにマンション建設は進んだだろう。法的には問題がなかったはずだから。
しかし、当時の小田原市民の多くは声を上げ、自分たちが住む街の誇りを貶める事態を阻止した。
その時以来、私は小田原に対して好感を抱いている。
今回、久しぶりに駅から城まで歩いて気がついたのだが、残念ながらマンションが立っていた。2004年に計画されたマンションなのかどうかはわからない。
しかし、ここが重要なのだが、小田原城の天守閣をすっぽり遮るような高層マンションではなかった。おそらく、開発業者は住民の声を意識したにちがいない。住民の関心が低く、なにをやっても反対されないとわかっていれば、法律上許されるギリギリまで高層にしたはずだ。しかし、反対されるのを恐れ、あえて住民の声を無視することは避けたのではないかと映った(そうでないかもしれないが)。
コロナ禍によって、人の流れが変わり始めた。都心から地方へ移住する人も増えてくるだろう。
その際、「選ばれる地方になるかそうでないか」、選別が始まるだろう。地方も競争にさらされる時代になるのだ。今までは「均衡ある国土の発展」という、昭和時代の遺物がかろうじて残っていたが、これからは自助努力をしたところが繁栄し、そうでないところは衰退していくのは避けられない。
私は以前から、都道府県の自由な合併ができることを望んでいる。もはや、すべての都道府県が等しく発展することなど不可能だからだし、自治体経営ができないところを国が面倒見るというのも限界がきている。
例えば、東京と北海道が合併して、互いの経営資源を活かし合うことができたら、かなりの相乗効果が見込まれるのではないか。三重県と島根県がひとつになっても面白そうだ。
自由で柔軟な発想でこれからの形を創造していく。今回のコロナ禍はそういう時代への過渡期だと思っている。
堀、石垣、松の組み合わせが絶妙
銅(あかがね)門
天守閣
天守閣より海を望む
(201101 第1034回)
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