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紺碧の将

河津の七滝と悠久の時

2020.12.03

 伊豆・天城山のふもとの渓谷に「河津の七滝」がある。ななたきと読まず、「ななだる」。この地方では滝を垂水(たるみ)と呼んでいたことから、ななたきではなく「ななだる」になったという。

 7つの滝は、大滝(右写真)、出合滝、かに滝、初景滝、蛇滝、海老滝、釜滝。最も大きな大滝でもさほどの高低差はない。滝壺のすぐ近くに露天風呂があり、そこで湯に浸かりながら、永遠に続きそうな滝の流れを眺めるのも一興だろうと思わせる。このあたりは川端康成の『伊豆の踊り子』の舞台としても有名、川端センセイもそのようにして執筆の疲れを癒やしたのだろうか。

 七滝は遊歩道も整備されており、ゆっくり見ても往復2時間ほど。散策には手頃の長さだ。

 

 滝を見ていると、たとえ短い時間であっても悠久の時を感じる。〝ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず〟同じような光景に見えて、流れ落ちる水は一粒とて同じものはない。いや、一粒という言い方は不適切だ。水に粒などないのだから。そんな微小なものがひと塊となって間断なく流れ落ちる。高い方から低い方へ。それだけで、途方もなく大きな摂理のなかで生かされているのだと感じることができる。

 月清千年秋(月清く千年の秋)とは、夜空に浮かぶ美しい月を眺めながら、千年前も同じようにこの月を見た人がいたんだろうなと思いを馳せることだと解釈している。時空を越えて自由に想念がめぐるとき、人は肉体という思い枷から逃れることができるのではないか。

 

大滝の間近に露天風呂が。風流なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初景滝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初景滝の前にある伊豆の踊り子像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(201203 第1042回)

 

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