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紺碧の将

日本人統合の象徴

2011.04.01

 今回の大災害は、いろいろなことをあらためて気づかせてくれた。

 そのひとつは、皇室が続いていることのありがたさである。

 先日、天皇・皇后両陛下が被災地を訪れ、被災者一人ひとりにお声をかけているシーンがテレビに映っていたが、なんと慈悲に満ちたお顔であろうと感嘆させられた。ただのポーズであのような表情などできるはずもない。ほんとうに心の底からすべての日本国民を案じておられるのだ。

 計画停電で不自由な思いをしている国民の苦しみを分かち合いたいと、皇居での暮らしでも数時間、電気のない生活をおくられているとも聞いた。他の国の王や皇室で、そこまで民の安寧を願っている例があるだろうか。

 もともと天皇の仕事の大半は、五穀豊穣と国民の幸せを願う祭祀だが、はからずも今回の災害はそのことをあらためて知る機会となった。

 

 アメリカの第16代大統領・リンカーンは、われわれは南北戦争を終結させただとか奴隷解放をしたということで覚えているが、当のアメリカでは、「アメリカ国民を統合させた功労者」として敬われている。つまり、それだけアメリカでは国民の統合が難しく、永遠のテーマでもあるのだ。なぜなら、民族も言語も宗教も生活習慣もバラバラの人が集まっている。アメリカ合衆国というひとつの国家のもとに集った人という統合感がない。おそらく今でも理屈の上ではそう理解できても、皮膚感覚で自分がアメリカ人だと思える人はそう多くないと思う。

 しかし、日本人はちがう。自分たちは同じ民族だという意識が明瞭に宿っている。だから、今回のような災害が起こると、人道的にではなく、皮膚感覚で苦しみを感じることができる。早い話、みんな身内であり、みんな日本村の村民なのだ(もちろん、このことはいい面もあれば、欠点となることもある)。そして、その統合の象徴が天皇である。

 京都御所へ行けばわかる。塀があまりに低いことが。それこそ屈強な特殊部隊が3人もいれば簡単に制圧できるような防御の薄さである。

 なぜ、そうなのかといえば、仮に乗り込んでその地位を奪ったところで、誰もそれを認めないことが明白だからだ。だから、頼朝も信長も秀吉も家康もその地位を犯そうなどと考えることさえしなかった。血で血を洗う争いがこの国ではほんのわずかしかなかったというのは、実は圧倒的に国民から崇敬されている皇統があるからである。世界広しといえど、神話の時代から連綿とつながっている皇統が今なお残っているのは日本だけだ。つまり、長い皇統は争いを未然に防ぐ防御装置でもある(そういえば、自衛隊を「暴力装置」だと言ったアホな政治家がいたが、まだご健在なのだろうか)。

 この国に皇統のあることのありがたさをあらためて噛みしめているところである。

(110401 第240回 写真は京都御所)

 

 

 

 

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