大久保サァに再会す
ひさしぶりに、大久保サァに会いたくなって青山霊園へ行った。
大久保サァとは大久保利通のことだ。歴史上、私が最も尊敬する人物である。
海音寺潮五郎の『西郷と大久保』を再読している。このようなくだりがあった。
――大久保は強い男だ。精神の強靭さは西郷よりはるかに上であろう。こんな強い人間には、自殺などという観念は決して浮かばないものだ。たとえ他人のことでも。
これは、月照上人を守りきれなかったことで慙愧の念に駆られた〝情の人〟西郷が、月照とともに錦江湾に身投げしたという事件のあとの文章である(西郷は、自分だけ助かったことを恥じ、その後は死に場所を求め続けた人生ではなかったろうか)。
井伊直弼による弾圧が苛烈さを増すなか、「突出だ!」と暴発寸前の仲間を思いとどまらせたのも大久保だ。彼は周りの全員が頭に血が上り、いきりたっているなか、一人だけ冷静さを失わなかった。「まだ、時期は到来してなか」と。
太平洋戦争前、大久保のような男がいたら、かなり違う展開になっていたことだろう。もっとも、その冷静沈着なリアリストぶりが、日本人にはウケない。みんなで討ち死にすることを選ぶ民族だ。それを肝に銘じていないと、今後もひどい災難に遭う可能性が大であろう。
青山霊園にある大久保サァの墓の入口で、思いもよらぬ人の墓を発見した。なんと、斎藤茂吉の墓である。
つい最近読んだ辻邦生と北杜夫(斎藤茂吉の息子)の対談集『若き日と文学と』のあとがきで、辻邦生の奥さんが、こう暴露している。
二人(辻と北)で酒を飲みながら話をしていると、涙もろくなって、「われわれがどんなに長編を書いても、斎藤茂吉の一首には絶対かなわない」と言いながら二人ともポロポロ涙をこぼしていたと。
斎藤茂吉の歌はそんなに凄いのかと、いまさらながら『赤光』を買い求めたばかりだ。そんな経緯があったものだから、大久保サァの墓所のすぐ前に斎藤茂吉の墓を見つけたときは、ちょっとした驚きだった。
余談だが、青山霊園には後藤新平や吉田茂、尾崎紅葉ら著名な人が眠っている。絶好の散歩コースである。
大久保利通公のすぐ近くにある中村太郎の墓。中村は大久保が暗殺されたとき、馭者を務めていたが、それが災難となった。享年26歳(?)。大久保家はよく仕えた彼の誠心に報いるため、公と同日に葬儀を執り行い、公の傍らに葬った。
大久保公が暗殺されたとき、馬車を牽いていた馬も殺された。その馬も中村太郎のすぐ近くに丁重に葬られている。
大久保利通公記念碑
斎藤茂吉の墓
(210104 第1050回)
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