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紺碧の将

言葉狩り、その非寛容の社会

2021.02.09

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の言葉が物議を醸している。

 またしても、したり顔をした偽善者たちによる言葉狩りが始まった。

 最初に断っておくが、私は森さんとはなんの関わりもないし、おつきあいしたいとも思わない。どちらかといえば、あまりいい印象は持っていない。

 しかし、今回の発言に関して、森さんが女性蔑視だとはまったく思えない。彼はただ、女性の特長、傾向を語っただけであって、女性を蔑んでいるとはとうてい思えない。たしかに、女性は男性と比べて言葉が多い傾向がある、これは事実だ。私も思い当たるフシがたくさんある。

 しかし、かといってそれが悪いわけではない。むしろ、議論が活発に行われることはいいことではないか。一方、男性は組織の論理を忖度し、自由な発言を控える傾向がある。昭和の軍部の暴走も、男性組織だったがゆえの悲劇だったのではないか。そういうことを言ったら、やはり男性差別になるのだろうか。

 いつ頃からか、言葉狩りが甚だしくなった。「子供」など、いくつかの言葉がスケープゴートになった。日本文化を貶めようという勢力による策略であることはわかりきっている。だから、本サイトでも『Japanist』でも「子ども」とは書かず「子供」と統一している。言葉狩りに対する抵抗の象徴として、そう表記しているのだ。

 

 寛容さのかけらもない社会になったものだ。

 先日、友人が言っていた。若い女性に「きょうは薄着じゃないの? 風邪ひかないようにね」と言ったらセクハラになると。薄着を想像すること自体がセクハラなのだと。相手を心配して言った言葉がセクハラになる。こんな社会はほんとうに皆が望んだことなのか?

 なんとくだらない世の中になったのか。

 ナントクダラナイヨノナカニナッタノカ。

 SNSをはじめ、匿名で自由に発言できるようになり、言葉狩りが横行するようになった。森さんの発言を糾弾する人たちは、自分の胸に手を当て、自分が他人を批判できる人間なのか、よ〜く考えてほしい。そのうえで批判する厚顔無恥さを自覚していればいいが、そういう認識もなく批判しているのだとしたら、その人は完璧な偽善者だ。付和雷同だ。

 森さんに言いたい。

「こんなことで絶対に辞めないで。もし辞めるときは、ほかの理由にして」と。

(210209 第1057回)

 

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