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紺碧の将

都(みやこ)と京(みやこ)駅舎比べ

2021.04.26

 いまさらながら、あることに気づいた。日本の新旧の都における駅舎の作り方について。小欄でも書いたことがあるが(「建築の不易流行」)、東京駅は、大々的な復旧工事によって過去を現代に残した試みといえる一方、古都の玄関口である京都駅は、原広司の設計により1997年に建設された超モダンなデザインである。いわば、世界の3大都市に数えられる超モダンな都市・東京は、レトロな佇まいの玄関口としたのに対し、千年の都・京都の玄関口は侘び寂びとは対極にある無機質なデザイン案を採用した。ないものを補ってバランスをとろうとする性質が駅舎にも現れたのだろうか。

 先日、京都での取材のおり、少し時間があったため、脳みそへの糖分補給も兼ね、あの駅舎の巨大な階段に座ってドーナツを食べながら、鉄骨で縦横に組まれた天井を眺めていたとき、あたかも巨大な胎内にいるかのような錯覚を覚えた。そして、「この駅舎、いいかも!」と思った。

 パリのルーブル美術館のガラスのピラミッドにも言えることだが、伝統を保持するということは、周りに合わせることだけではない。異質なものを組み合わせ、新しい場の空気を喚起させることもそうだと言えよう。そういう点で、京都駅の駅舎はなかなかアグレッシヴである。玄関口では斬新な気風を醸し、京都迎賓館などでは徹頭徹尾、日本の文化を結集する。対極にあるものを品よく組み合わせているところが、いかにも歴史の風格を感じさせる。

 

東京駅舎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京駅舎前の夜景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都駅舎の内部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都駅舎正面

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(210426 第1073回)

 

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