静寂のなかの静かな炎
ジャズ界には独創的で強烈なリーダーシップを発揮するホーン奏者が多い。マイルスしかり、コルトレーンしかり、チャーリー・パーカーしかり。すご腕のサイドメンを従えながら、先頭を脇目も振らず突っ走る人たち。
しかし、ケニー・ドーハムというトランペッターは、グイグイ引っ張るタイプではない。さまざまなセッションに参加しつつも主役となることはなく、ジャズ・プロフェッツという自身のグループを結成してもすぐに瓦解し、1972年、40代後半でこの世を去った。
そんなケニーの代表作『静かなるケニー(Quiet Kenny)』(1959年)は、彼らしい滋味溢れる作品だ。なぜか私の生まれた年に発表されたジャズの作品には名盤が多い(考えすぎかもしれないが)。
タイトルが示すように、静かな佇まいがいい。バラードとブルースを基調とし、侘び寂びにも通ずる深みがある。ケニーのもうひとつの名盤『アフロ・キューバン』が情熱の発露だとすれば、本盤は内省的な叙情豊かな一面といえる。
脇を固めるのはトミー・フラナガン(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)。いずれも手練の者ばかりだ。ホーン奏者であれば、だれもが彼らをバックに吹きまくりたいと思うはず。
安定したサイドメンを得、ケニー・ドーハムは思い通りの絵を描いている。彼のプレイは地味だが、かといって凡百というわけではない。静かにめらめらと揺れる炎、内に秘めた情念が音の合間に滲んでいる。
2曲目のすすり泣くような「マイ・アイディアル(My Ideal)」が秀逸。アンニュイでしっとり。大人のセンスを醸している。これをしみじみ聴けば、乾いた心も数分で潤いを取り戻すにちがいない。「アローン・トゥゲザー(Alone Together)」や「マック・ザ・ナイフ(Mack The Knife)」など往年の名曲のカバーもいいし、「蓮の花(Lotus Blossom)」などケニーのオリジナルもいい味を出している。
本コラムで紹介したソニー・クラークの『クール・ストラッティン』と同様、ジャズの本場アメリカではあまり評価されなかったアルバムだが、日本の熱心なジャズファンはこの作品の価値をいち早く認めた。『静かなる~』という邦題も一役買っていただろう。ショーロホフの『静かなドン』を彷彿としたのは筆者だけかもしれないが……。
目を閉じて静かに聴き惚れたい。
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