大胆にして繊細、マーラーが描く自然のなりたち
本コラムでのマーラーは、交響曲第8番「千人の交響曲」(file.018)に次いで2回目の登場。今回は、もっとも演奏回数が多く、親しまれている交響曲第1番「巨人」。この曲は1888年、マーラーが28歳のときに書かれた。
クラシック音楽に魅了されてからしばらくの間、マーラーは手強い存在だった。どれも長く、陰鬱な曲調が多い。バッハやモーツァルトや近代フランスの室内楽をメインに聴いている身にとって、マーラーはけっして近寄りたい作曲家ではなかった。
そういった印象を払拭してくれたのが、この作品だった。
1時間弱と、例によって演奏時間の長い作品だが、マーラーの交響曲のなかでは短い部類に入る。構成は起伏に富み、聴く者を飽きさせない。とりわけ生演奏で聴くと、この曲の壮大なアイデアが理解できる。吹奏楽器や打楽器の活かし方がうまく、スケールが大きいのに繊細な味わいがあるのだ。
第1楽章は、弦楽器のフラジオレットにいざなわれ、静寂のなか、幕を開ける。マーラー自身の言葉を借りれば、「深い眠りからの自然の目覚め」を多彩な楽器でみごとに表現している。カッコウのさえずりを思わせるクラリネットや、遠くから響き渡るトランペットのファンファーレなど、自然界に満ちた多彩な音を彷彿とさせる。自然の情景をイメージしながら聴けば、この楽章の魅力がさらに増す。
低弦によって始まるスケルツォの第2楽章もチャーミングだ。この時代、オーストリアの民族楽器であるレントラーを用いる作家は多かったが、マーラーのそれは絶大な効果を生んでいる。次の第3楽章に現れる葬送曲風の調べとつなぎ合わせると、まさに詩の韻を思わせる効果がある。
オーストリアの画家モーリッツ・フォン・シュヴィントの木版画『狩人の儀式』から着想を得たとされる第3楽章は、コントラバスが民謡の旋律を重ね、その旋律は次第にさまざまな楽器によりカノン風に展開されていく。「カロ風の葬送行進曲」と冠されていたこの楽章では、ダムダムという楽器が初めて登場した。この幽玄なメロディーは、映画『ゴッドファーザー』の葬儀の場面にピッタリだと思う。
第4楽章は、度肝を抜くようなシンバルの一打で始まる。この一打、くるぞくるぞと覚悟していてもドキリとさせられるほど大きく鋭い音だ。この最終章こそ、マーラーの真骨頂。ホルンや金管楽器が華々しく吹き鳴らされ、大団円へと向かっていく。
『マーラー』という映画を観たことがある。この映画で描かれるマーラーは、鬱の気質で自己中心的、けっして好きにはなれない人物像だった。実際の彼も、そんな感じだったのだろう。友だちにはなりたくないが、彼の音楽は聴き続けたい。
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