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紺碧の将

生の歓びに満ちた、死者を悼む音楽

file.070『レクイエム』G.フォーレ

 レクイエムは死者の魂を慰めるためにつくられた。私はあまり宗教になじみがないが、レクイエムを聴いていると、得も言われぬ心地がする。すぐれたレクイエムは、死者のみならず生きている人々の心をも慰めてくれる。

 世に「3大レクイエム」といわれるものがある。モーツァルト、ヴェルディ、そしてフォーレ。私はフォーレのレクイエムがいちばん好きだ。

 フォーレの父親が亡くなったのは1885年のこと。その翌年、制作に着手し、明くる年完成した。

 パリのマドレーヌ寺院での初演において、司祭から「斬新過ぎる」と叱責され、ほかにも「死の恐ろしさが表現されていない」などという批判もあったという。そのような批判に対して、フォーレは次のような手紙を書いている。

「私のレクイエムは死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというよりむしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感にほかならないのです」

 死が永遠の命という考え方は、日本にもある。

 晩年、友人に宛てた手紙にはこう書いている。

「私が宗教的幻想として抱いたものは、すべてレクイエムのなかに込めました。このレクイエムは徹頭徹尾、人間的な感情によって支配されているのです。つまり、それは永遠的安らぎに対する信頼感です」

 フォーレのレクイエムは、キリスト教の宗教観がなくとも堪能できる作品だ。というよりも、すべての人間に内在する宗教的感覚を引き出す力があるといっていい。その証拠に、私のような不信心の輩が聴いても、冒頭書いたように敬虔な気持ちになる。教会のなかに足を踏み入れるや、厳かな気配に心身が浄化されるのと同じように。

 40分少々という演奏時間もちょうどいい。その世界に没入するスイッチが入り、ほどよく堪能できる時間が40分前後なのではないか。それ以上、集中力を持続させることは(私にとっては)難しい。

 私が愛聴するのは、カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)、フィルハーモニア管弦楽団&合唱団、キャスリーン・バトル(ソプラノ)、アンドレアス・シュミット(バリトン)の盤(1986年録音)とジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)、オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク、キャサリン・ボット(ソプラノ)、ジル・カシュマイユ(バリトン)の盤(1992年録音)。人間の声の神秘性をここまで引き出したヨーロッパ人の功績に感嘆しないではいられない。

 ところで、フォーレは師のサン=サーンスやフランクらとともにフランス国民音楽協会の設立に参加している。なるほどこの3人には、共通した空気感がある。

 

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