夜ひとり想うときの音楽
〝ピアノの詩人〟との異名をもつショパン。
どちらかと言えば、私はショパン贔屓とは言えない。けっして嫌いではないが、積極的に触手を伸ばそうとはしてこなかった。だが、静かな夜、しんみりと音楽を聴きたいとき、ときどきショパンの夜想曲(ノクターン)を聴く。
ショパンは夜想曲の全21曲を、作曲家として活動を始めてから死ぬまでを通して、ほぼ均等に作り続けた。ある意味、ショパンの人間的・音楽的成熟が窺い知れる貴重なジャンルとも言える。
愛聴盤はもちろん、マリア・ジョアン・ピリスである。
「私は体重がないからブラームスのソロ作品を弾くとすごく大変で、パワーばかり要求される曲というのも近寄りがたいんだけど、ショパンはどんな曲でもスッと入ることができる。演奏に必要とされるテクニックがごく自然で、どんなピアニストでも適応することができるから」
ピリスはそう語っている。誠実な人だ。
初めてピリスの音に触れたのは、今から30数年前。彼女の人生のパートナーでもあるオーギュスタン・デュメイとサントリーホールで催されたブラームスのヴァイオリン・ソナタ3曲の演奏会だった。壊れそうなほどの細身から紡ぎ出される繊細な音に深い感銘を受けた。ピリスといえばモーツァルトの評価が高いが、彼女はなにを弾いても〝ピリス〟になっている。フランス・ブリュッヘン指揮、18世紀オーケストラをバックに、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾いた演奏をときどきDVDで見るが、いつ聴いてもピリスの音楽は心に沁みる。
ポルトガル生まれのピリスは、一時期、故国に大きな農場を買い、そこでの生活を優先させていた。首筋に刻まれた深い皺は、その頃の名残だろう。
しかし、どんなに農作業をしても、ピリスの奏でる音は農婦のようにはならない。
秋の夜長、ピリスの夜想曲集を聴きながら、さまざまに思いを馳せるのはなんとも贅沢な時間である。ちなみにこのアルバムは1996年レコード・アカデミー賞器楽曲部門を受賞している。
まごうかたなき名盤である。
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