陰影の襞が微妙に重なるピアノ曲
シューベルトのピアノソナタは、なぜこうも美しいのか。特に第21番(変ロ長調)を聴くと、しみじみそう思う。
この曲は、シューベルトが1828年に作曲した作品で、晩年、つまり死と隣り合わせの状態で書いたもの。
神々しいのだが、かといって宗教的ではない。あくまでも人間的な神々しさを醸している。陰影がじつに微妙で、「強音・弱音」という単純な構成では表すことができないほど強弱のグラデーションが豊かである。
この作品の魅力をあますところなく表現するために、ピアニストは10種類のくらいのタッチの強度を持っていなければならないのではないだろうか。あくまでもピアノを弾けない音楽ファンのひとりごとではあるが……。現代でいえば、マリア・ジョアン・ピリスが最適だと思う。ピリスは体格が小さいため大音量を要する作品は苦手だが、こういう繊細な曲は真骨頂であろう。
第1楽章は、静謐で澄んだ音色で始まる。シンプルなフレーズが続くが、この音の隙間がなんとも心地いい。
第2楽章は、一転して緊張感が高まり、第3楽章で軽やかさを取り戻し、第4楽章で明るい未来を予感させながら終結する。
一人黙々と森閑の道を歩き、遠くにせせらぎを聞いたり、野鳥の声に耳を澄ましたり、草いきれを感じたり……。そのうち、目的地に着く。そんな情景を彷彿とさせる。
こんなエピソードが残っている。1827年、ベートーヴェンの葬儀に参列したシューベルトは、その帰りに友人たちと酒場に立ち寄った。そして、「このなかで最も早く死ぬ者に乾杯」と音頭をとった。それを聞いた友人たちはみな、不吉な予感を覚えたという。案の定、シューベルトはその翌年に亡くなった。そのときシューベルトは、自らの死を予感し、自分のために祝杯をあげたのだろうか。
死を感じながらつくったこの作品が天上の音楽のように思える。
(写真は高橋アキ盤)
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