何か大きなものに包容されるような感覚
この世にこんなに美しいメロディーがあったのか。
初めてこの曲を聴いたとき、しみじみそう思った。
時間がないときは、冒頭の数小節(1〜2分)だけ聴いてもいい。瞬時にしてブラームスならではの情感たっぷりの世界に包まれる。
自分という存在を丸ごと許容してくれるような、何か大きなものに包容されるような感覚。これまでに縁があった人たち、支えてくれた人たち、そして今、親密な交誼を結んでいる人たちに対し感謝したくなるような感懐を起こさせてくれる。
それこそ直感に訴える音楽ならではの効能といえるだろう。言葉では太刀打ちできない、音楽というものの持つ底知れぬ力を存分に感じさせるこの曲を、ブラームスはわずか21歳のときに作ってしまった。
ブラームスは晩年になるほど陰気さを増していくが、この曲は若いころに書かれただけあって、叙情的ながらもエネルギッシュでダイナミックな面を併せもつ。その後のブラームスを予兆するとでもいおうか、音をひとつひとつ選びながら、じっくり作り上げていく彼独特のスタイルが垣間見える(交響曲第1番に21年の歳月を要したことを思い出すまでもなく)。
そんなブラームス室内楽の白眉ともいえるこの作品は、マリア・ジョアン・ピリス(p)、オーギュスタン・デュメイ(v)、ジャン・ワン(vc)のトリオで決まり。ピリスは迫力こそないが、繊細で情感のある音を紡ぐ天才。そして、それを支える伴侶デュメイ。信頼関係に基づいているからこそなしえる、この曲の魅力を最大限に引き出した稀有な演奏である。(1994年録音)
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