微妙に異なる青が織りなす音楽世界
日本で3番目の高さを誇る北アルプス最高峰・奥穂高岳に登頂したときだった。どこからともなくマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』のなかの「オール・ブルース」が聞こえてきたのだ。真っ青な空、きりりと引き締まった空気に沁み入るような、切ない音だった。そして、疲れ切った体を慰めてくれた。ふだん、ジャズは夜聴くことが多いが、青空の下、3,190メートルの高地で聴くマイルスはまた格別の味わいがあった。
大きな岩の裏側に回ると4、5人の白人の若い男性がCDラジカセの周りに車座になっていた。流暢な英語でマイルスを聴いていたのだから、おそらくアメリカ人だろう。
以来、『カインド・オブ・ブルー』を聴くと、奥穂高から見える北アルプスの峰々が想起される。いい曲と絶景がリンクするなんて、とても幸せなことだ。
この作品のデータを見ると、録音されたのは1959年3月から4月にかけて。つまり、私が生まれる前後に録音された。マイルスの脇を固めるのは、ジョン・コルトレーン(ts)、キャノンボール・アダレイ(as)、ビル・エヴァンス(p)、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)という錚々たる面々。いまだにモダン・ジャズの最高峰を究めたと言われるこの一枚は、当時考えられる最高のメンバーで一気呵成に仕上げられた。ほとんどの曲が一発録りだったということからも、異様な集中力と各人の並外れた技術がわかる。ジミー・コブ以外のメンバーは全員、何枚ものリーダー・アルバムを出しているツワモノ揃い。彼らをまとめられるのはマイルス以外にいない。余談だが、2010年5月24日、この作品を録音したメンバーの最後の生き残り、ジミーが91歳の生涯を閉じた。
当時、マイルスはラヴェルやハチャトリアンら、近代クラシックを愛聴し、かなりインスパイアされていた。このアルバムに収められた5曲すべてがマイルスの手によるものだが、そのどれもが理知と情念をバランス良く保っている。どれを聴いてもたしかな聴き応えがあり、親しみも感じられる。おおざっぱに言えば、理知はマイルスとビル・エヴァンスが、情念はほかのメンバーが支えているようだ。
このアルバムの妙は、ピアノにある。どういう意図からか、マイルスはビル・エヴァンスとウィントン・ケリーという稀代のピアニスト2人を用いた。曲の性格によって使い分けようとしたのだろうか。1曲目のみウィントン・ケリーでほかはビル・エヴァンス。ウィントンはごくごく控えめに和音のみを鳴らしているが、これもじつに効果的。ビルはときどきバンドをリードすることもあるが、クールさを保ち、必要以上に前面に出ることはない。ピアノの音だけを追っても聴き応えがある。最小限の音で最大の効果を出している。ひとつひとつの音に知性があり、ツボを押さえている。特にビルはクラシック畑の弾き手だったということもあり、マイルスの意図を知り尽くしていたようだ。そのときどきでどのような音を配せばいいのか、じゅうぶん計算し尽くしている。事実、録音前のリハーサルでは、ピアノを前にして何度も鍵盤を叩くマイルスとビルの姿があったという。
ピアノとベースによってつくられた画布の上を、マイルスやコルトレーンらが自由自在に絵を描いている。まさにジャズの一期一会である。
ふと思った。マイルスがいう〝Blue〟とはどんな真意があるのだろう。微妙に異なる青が織りなす音楽世界を入念に構想したからこそのKind of Blueではないか。奥穂高岳の頂上、微妙に異なる青のグラデーションの下でこの曲を聴けたのは、偶然とはいえ、とても幸運だった。
1曲目の「So What」(だからなに?)はマイルスの口癖をタイトルにしたもので、村上春樹もたびたび登場人物に言わせている。
「だからなに?」」
マイルスと村上春樹にそう言われそうだ。
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