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「20世紀最高の歌」の真実

file.007『奇妙な果実』ビリー・ホリデイ

 1999年、『タイム』誌は「20世紀最高の歌」としてビリー・ホリデイの「奇妙な果実」を選んだ。

 ニューヨークの公立学校の教員ルイス・アレンが作ったこの曲を、どういうスタンスで聴けばいいのだろうか。心も脳みそも内蔵も、鋭い爪でえぐられるかのような、それでいて妙な快感を覚える。もちろん、この曲を世に知らしめたのは、かのビリー・ホリデイである。

 アメリカ南部でリンチの後、虐殺され、見せしめのため木に吊るされた黒人の死体を歌ったものである。奇妙な果実(Strange Fruit)とは、木の枝からぶら下がっている死体が奇妙な果実のように見えるという強烈なアイロニー。「南部の木々には奇妙な果実がなる」と歌い出しで始まるこの曲は、木に吊るされた黒人の死体から赤い血がしたたり落ち、木の葉とともに風に揺られ、やがて腐っていくという地獄のような光景を表現している。

 ビリーの鬼気迫るしゃがれ声がすさまじい。喉の奥から絞り出すように声を出し、切々と歌い上げる。1930年代に彼女がニューヨークのジャズクラブで初めてこの曲を歌ったとき、聴衆はあまりにも残酷な詞の内容に衝撃を受け、言葉を失った。会場は異様に静まり返った。やがて拍手が起こり、しばらく鳴りやまなかったそうだ。

 しかし、レコードはすんなりとは発売されなかった。ビリーの所属レーベルであるコロンビアが発売を拒んだためだ。やむなくマイナー・レーベルのコモドアからリリースされたが、のちに「20世紀最高の歌」に選ばれることなど、だれもが想像していなかっただろう。

 

 アメリカにおける人種差別問題は根深い。今年(2021年)、初の黒人副大統領が誕生したことは、画期的な出来事だった。

 アメリカでは、南北戦争(1861〜65年)が終わってからも過酷な黒人差別があった。黒人は奴隷として主にプランテーション栽培に従事していたが、白人に少しでも抵抗すれば見せしめのためにリンチを受け、木に吊るされた。その数、数千とも数万とも言われる。少しずつ公民権運動が盛り上がっていったが、連邦公民権法が制定されるのは1964年のことである。ビリーはその5年前に亡くなったが、『奇妙な果実』はその画期的な法律が制定されるうえで多大な貢献をしたと言っていいだろう。

 

 ビリーはけっして歌がうまいわけではない。声域も狭い。しかし、情念がこもった声は、聴いている身を切り裂きそうなほどソリッドだ。不幸の塊をすべて飲みこんで、なお肯定的な力に変換している。

 なぜ、彼女はそのような表現力を持ち得たのだろうか。もちろん、生来の才能もあっただろう。しかし、それだけではない。繰り返すが、彼女の声はだれが聴いてもうっとりするようないい声ではないし(むしろ、しゃがれている)、声域は限られている。

 ビリー・ホリデイの歌唱力の源泉は、この世の中の不幸を一身に背負ったかのような経歴にあるのではないか。少女期に強姦され、感化院・監獄に収容され、麻薬に溺れた。ジャズシンガーとして世に出てからも激しい人種差別を受け続けた。とにかく不幸を詰め合わせにしたような人生だった。言い方を変えれば、悲惨な体験をエネルギーに転化できることが彼女の才能だったのではないか。そう思うのだ。

 ビリー・ホリデイことエレオノーラ・フェイガンがフィラデルフィアに生まれたのは、1915年のこと。〝生まれつき〟不幸を背負っていた。父は15歳、母は13歳。父はエレオノーラを認知せず、母は売春婦だった(13歳で!)。

 エレオノーラは、母の親族をたらい回しのように転々とさせられた。ある日、自分を腕に抱いていた曾祖母がそのまま死んでしまい、死後硬直した腕で首を絞められ、心的外傷後ストレス障害を発症したことが災いの始まりだった。

 学校へ通わなくなったエレオノーラは、ボルティモアにある黒人専用のカトリックの女子専用寄宿学校へ預けられた。

 さらなる悲劇が彼女を待ち受けていた。ある夜、エレオノーラは近所の男性に強姦されてしまうのだ。

 その後、エレオノーラは母とともにニューヨークに移り住む。母は娘を売春宿に預けて、再び売春を始めるが、母娘は売春容疑で逮捕されてしまう。

 やがてエレオノーラは、禁酒法時代のハーレムで、非合法のナイトクラブに出入りするようになる。そして、徐々に実力が認められ、「ビリー・ホリデイ」と名乗ることになる。

 その後の人生は、栄光と悲惨が二重写しになったかのように早送りで進む。類い稀なビリーの才能は、黒人というハンディを超え、圧倒的な評価を受けるが、それにともなってダニのような連中が彼女の周りに集まってくる。あげく、ビリーはドラッグ中毒、アルコール中毒に陥り、稼いだ金は右から左へと掠め取られ、借金漬けになった。懲役刑に服し、体も心もスタズタに消耗していく。

 満身創痍となったビリーは、なにひとつ幸福を味わうことなく、1959年7月17日、この世を去った。わずか44年の生涯であった。彼女が死んだとき、全財産は1,345ドルだった(その後、印税は10万ドルに上ったというが)。

 ビリーの死を悼み、マル・ウォルドロンがあの有名な「レフト・アローン」を作曲した。〝ひとり、残された〟と切々に響くメロディーは、ビリーの悲惨な生涯をなぞっているかのようだ。また、ビリーの歌声は、ジャニス・ジョプリンをはじめ、多くのミュージシャンに多大な影響を与えた。

『奇妙な果実』は名曲揃いだが、タイトル曲のほか、「イエスタデイズ(Yesterdays)」「水辺にたたずみ(I Cover The Waterfront)」「アイル・ビー・シーイング・ユー(I’ll Be Seeing You)」「時のすぎゆくままに(As Time Goes By)もいい」。

(1939〜44年録音)

 

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