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紺碧の将

モダン・ジャズの双璧が奏でるバラード集

file.019『バラード』ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス

 夜、ウイスキーをちびりちびり飲りながら、しんみり聴くのに最適のジャズを2枚紹介しよう。

 タイトルはくしくも同じ『バラード』。演者はモダン・ジャズの最高峰と並び称されるジョン・コルトレーンとマイルス・デイヴィス。彼らの奏でる音は、ただの音ではない。人生の苦味や甘みが渾然一体となって音に表れている。こういう音楽を聴きながら静かな気持ちで一日を終えられるって、ほんとうに幸せだと思う。

 コルトレーンといえば、「これでもか!」というほど激しいプレイが身上だ。人の声でいえば、シャウトの連続といっていい。まさに魂の叫び。聴き続けるのがつらくなることもある。

 しかし、1962年に発表された、この『バラード』はまったく趣が異なる。このアルバムを作るきっかけは、サックスのマウスピースの調子が悪く、いつものように切れ目ないフレーズを弾けなかったため、苦肉の策としてバラードを集めたとまことしやかに言われるが、コルトレーンといえど人の子、たまにはメロディアスな曲を情緒豊かに表現したかったにちがいない。

 オープニングの「セイ・イット(Say It)」のひと吹きで、聴き手を異世界へいざなってしまう。その圧倒的な力に伍することができるのはマイルスくらいだろう。なんというか、音に喜怒哀楽がこもっているのだ。それでいて、見え見えではない。酸いも甘いも噛み分ける、大人だけが味わえるとでも言おうか。そう書くと、いかにも私がそういうことを聴き分けられると自慢しているみたいだが、そのへんのことは棚に上げるとして、人生の経験が浅い人がコルトレーンの音色から重層的な感情を読み取ることはできないと思う。

 名の知られた曲は少ない。それだけに、妙な先入観をもたずに聴くことができる。ひとことでいえば、全体がコルトレーンの色に染まっているのだ。

 そこへいくと、もうひとつの『バラード』は寄せ集めの感が拭えない。それもそのはず、マイルス・デイビスが演奏したバラード曲を編集したもので、収録も1961年から63 年と、ばらつきがある(マイルスにはもう1枚、1950年代の演奏を編集した『バラード』がある)。

 ポール・チェンバースを従えたものやロン・カーターを従えたもの、あるいはギル・エヴァンス・トリオとの共演など、曲全体の音色も異なる。しかも、バラートとは謳っているものの、「バイ・バイ・ブラックバード(Bye Bye Blackbird)」のように軽快な曲も多い。繊細で神経質な、いつものマイルスではなく、かなり陽気なサウンドだ。

 しかし、あらためて思うこともある。マイルスはなにを演奏してもバラードになってしまう、と。アグレッシヴな曲であっても、音のそこかしこに繊細な憂いが感じられるのだ。琴線を震わすなにものかが沁み渡っている。それこそがマイルスのマイルスたるゆえんだろう。わずか1小節吹いただけでマイルスとわかってしまう。その独自性をきわめた人は、古今東西、数えるほどしかいない。

 

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