ハードロックはこうでなくちゃ
レインボーをみくびっていたとしか言いようがない。数枚、レコードを持っているが、「ディープ・パープルの末裔で、いつまでもハードロックを演っているオッサンバンドだろ?」という程度の認識しかなかった。
私が懇意にしている二人の音楽雑食者(クラシックからジャズ、ロックとジャンルを問わず、いい音楽ならばなんでも好きという、ホンモノの音楽好き)が、ひとかけらの含羞も見せずに、「じつはレインボーが好きなのだ」とカミングアウトしたときは、大いに驚いたものだ。指揮者による微妙な違いを聴き分けるくだんの友人は、重要な仕事がある日の朝は、レインボーの『虹を翔る覇者』(1976年発表)を聴いてから出かけるというのだ。
しばらくぶりにレコードを引っ張り出す。
まず、陰鬱な空に鮮やかな虹がかかっているというジャケットが目を引く。古城のシルエットも見える。その虹をガシッとつかむ右の拳がある。指から毛のようなものまで垂れている。あまりにベタな写真に度肝を抜かれる。しかし、そんなことはどうでもいいと思わせる底力を秘めていることもたしかだ。
原題は「Rising」。なんとも直截で勇ましい。邦訳はそれに輪をかけて勇ましい。たしかに気合が必要な一日の朝には最適かもしれない。
私はもともとディープ・パープルの良き聴き手ではなかった。ときどき『ライブ・イン・ジャパン』や『カム・テイスト・ザ・バンド』を聴く程度。
ディープ・パープルを脱退したあと、リッチー・ブラックモアは自分の思い通りになるメンバーを選び、1作目を完成させた。その直後、なにが気に食わなかったのかメンバーの大半を解任し、新たに選び直した。
そのなかにスグレモノがいる。
まずはコージー・パウエル。ジェフ・ベック・グループで名声を博した男だ。なぜか顔つきがジェフ・ベックに似ている。いっしょに活動すると、顔が似てくるのであろうか。
もうひとりはヴォーカルのロニー・ジェイムス・ディオ。正直なところ、ヘヴィメタ系のヴォーカルは大同小異だと思っていたが、高音の伸びや鋼のような声の張りなど、まさしく肉食獣のごとき迫力だ。
正直に告白しよう。原稿を書いているときも就寝前の静かなひとときもレインボーは邪魔にならなかった。それどころか、大いに前のめりで聴き入ってしまった。聴きながら、心身が躍動するのがわかった。
1曲目の「タロット・ウーマン(Tarot Woman)」のイントロだけは感心しない。シンセサイザーで宇宙的な音を作っているが、こういう作為は早晩陳腐化する。しかし、いざ歌が入るやレインボーの世界。続く「ラン・ウィズ・ザ・ウルフ(Run With The Wolf)」「スターストラック(Starstruck)」「ドゥ・ユー・クローズ・ユア・アイズ(Do You Close Your Eyes)」と息をつかせない。
レコードではB面に入っている「スターゲイザー(Stargazer)」と「ア・ライト・イン・ザ・ブラック(A Light In The Black)」が圧巻。ブラックモアの時代がかったギタープレイ、コージーのマシンガンのようなドラミング、そして咆哮とも言うべきロニーのヴォーカル。すべてが大げさで、それなのに嫌味がない。近年、より簡潔なものに心が傾いているが、ときどき荒療治的な揺り戻しが必要なのかもしれない。
ジョン・ボーナムが急死したあと、レッド・ツェッペリンの後任のドラマーの名が複数あがったが、最有力だったのはコージーだった(もうひとりは、サイモン・カークかな)。それほどにコージーのドラミングはハイレベルだ(それでもツェッペリンで大役を果たすことは難しかったと思うが)。
ロックが急速に進化を遂げた時代、無邪気にハードロック一筋に邁進したブラックモアに拍手をおくりたい。
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