ヴァイオリンの能力を最大限に発揮させた祈りの音楽
バッハの『平均律クラヴィーア曲集』で始まった本コラムは、25回を終えた。バッハを起点にし、25話を1クールとして構成するという試みで始まったが、今回で2クール目に入る。
バッハの無伴奏ヴァイオリンは全部で6曲あり、ソナタとパルティータが交互に並べられている(奇数番号がソナタ、偶数番号がパルティータ)。ソナタとパルティータのちがいは、ソナタが4つの楽章からなる形式であるのに対し、パルティータはいくつかの舞曲(アルマンド、ジーグ、メヌエット、サラバンド、シャコンヌなど)からなっていること。ソナタは静、パルティータは動の印象が強い。
これらの無伴奏ヴァイオリン曲は、自身ヴァイオリンの名手であったバッハの脂の乗り切ったケーテン宮廷楽長時代(1717-23年)に書かれたもので、ヴァイオリンという楽器が持つ能力を最大限に発揮させ、その表現を高い芸術的境地へと結実させた音楽史上不滅の傑作と言ってさしつかえない。
どの楽章も、弾きこなすには極めて高度なテクニックを要する。重音を弾きながら他の弦を鳴らしたり、微妙に弦や裏板を鳴らすなど、1台のヴァイオリンで弾いているとは聴こえないものばかり。バッハは、ほんとうに人間だったの? と思うくらいになんでもわかっていたとしか考えられない。これだけ上から目線で完成された芸術を提示されると、ただひたすら恐れ入るしかない。
よく知られた「シャコンヌ」は、無伴奏ヴァイオリン第2番の第5楽章である。シャコンヌとは古い舞曲のひとつで、短い低音の和声定型を何度も繰り返しながら、そのそれぞれの繰り返しのうえに変奏を築き上げていくという形式をいう。ほかの曲が1〜5分と短くまとめられているのに対し、この楽章だけ約14分と長い。ヴァイオリニストにとっては、自分のレベルを白日のもとにさらされてしまう、〝恐ろしい曲〟でもある。
私は、千住真理子が1994年、デビュー20周年のときに録音した全曲集ばかり聴いていた。千住真理子はそれ以来、節目ごとにバッハの無伴奏ヴァイオリン全曲演奏会を行うと决め、その後、5年ごとに行っているようだが、それほどにこの曲に賭ける思いは強いようだ。近年、ほかの演奏家を聴くことが多いが、ある意味、千住真理子の演奏に比べてどうなのか? という聴き方をすることが多い。千住真理子は、やはり日本人演奏家の典型ともいえる。じつに折り目正しく、そつがない。かっちりと、ある枠のなかに収まっている。それは、言い換えれば、自己主張・自己表現に乏しいということでもある。
いまのところ、私が最も贔屓にしているのは、ロシアの若手ヴァイオリニスト、アリーナ・イブラギモヴァの演奏。イブラギモヴァは他の曲についても言えるが、先達の影響をほとんど受けていない。まるで子供のように、自分がしたい演奏をし、楽しんでいる。2度ほど生の演奏に接したことがあるが、いずれも独創的でチャーミングだった。よく女性のヴァイオリニストはお嬢様風のコスチュームを身にまとうが、彼女はモダンなブラウスに黒のパンツ、そしてピンヒールであった。
そういう彼女がこの無伴奏ヴァイオリンを弾くと、当然のことながら独自の表現のオンパレードだ。それなのに徹頭徹尾、祈りの音楽になっているところが摩訶不思議。何度聴いても飽きるということがない。ギドン・クレーメル盤やイツァーク・パールマン盤も捨てがたい。
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